Many Happy Child

今日も一日が、ポカポカのHappyな一日でありますように・・・☆

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ヒグラシ

こんな夜中にヒグラシが鳴いてる。
夏の夜の虫の音好きだな~。
今年の夏もやってきて、またひとつ歳をとりました。
26のとしはいろいろ新たな決断をしていくことになるかな。

昨日、常連のお客さんが
今日も昨日とメンバー一緒だねーって。
常連のカプチーノお兄さん、柴犬モモちゃん、モモちゃんママ、ともちゃん、私。
昨日と変わらない風景がそこにひろがっていて、
のんびりゆっくりリラックスできるこの場所があるのは、
平和で幸せですよねーって。

ほんとにそうだと思う。

今日、阪神大震災を題材にした映画を観てて思い出した。
あの日、目が覚めたら空が一番に目に飛び込んできたのを鮮明に覚えてる。
おばけが出そうな築50年の家は全壊。

あの時、小学校3年生だっだ私も
今のお店で働きだして5年目。
アルバイトから社員になって、始めてボーナスももらった。
今までの頑張りをちゃんと見ていてくれていたんだと実感できて、
涙がでそうになった。

東北の地震についても
いろんな報道や考えが渦巻いてて
なにがどうなのか言えないけど、
私が言えるのは、
小さな頃に地震を経験したけど、
家だってなくなっちゃったけど、
両親やたくさんの人たちのおかげで、
こうして好きな人たちに囲まれて、
26歳になれたこと。

もうすぐ出産をひかえてる友だちも多くて、
将来のこともいろんな考えが巡るけど、
今もこれからも大切に過ごしていきたい。

そんな感じです。

お祝いしてくれたみなさま、ありがとー!





2010年10月。

気づけば、前の日記から一年が経とうとしてる。

2010年10月。

自分にとってあまりにも大きな時だった。

大好きな友だちの結婚式。
披露宴の余興では、大勢の前に立っているにも関わらず、友だちの手紙を聞きながら、
いろんなことを一気に思い出して、幸せそうな笑顔を見てほんとに嬉しくて、爆泣き。笑
こうして、大好きな人たちが幸せになっていく姿をみられるのはほんとに嬉しいこと。

社員。
働きだして4年目。
この職場や周りの人たちに出会えたことは私にとってあまりにも大きくて幸せなこと。
そこで社員にさせてもらえたことに心からの感謝。
だからね、その分私が出来る限りのパワーを注ぐと心に決めてます。
もっともっと、みんなの力になれるように頑張るのみ。

大切な人。
何でも一緒に共有して、一緒に悩んで、一緒に笑える。
全力で信じると決めました。
その人がいると思うと妙に気持ちが落ち着くし、強くなれる気がする。
不思議だねー笑

この私自身の嬉しい報告をたくさんの大すきな人たちが自分のことのように喜んでくれて。

更に嬉しくなって。

みんながいてくれたからだと心から思う。

ほんとにありがとう。

でも、ここからがスタート。

2010年も残りあと、2ヶ月…

感謝しつつ、気持ちを引き締めて頑張ります!



 













2009年12月30日に考えたこと


早くも2009年があとちょっとで終わり。

今日はお休みだったので、嵐が来たようなお部屋を掃除。

掃除しながら今年はどんな年だったか、来年はどんな自分でいたいかゆっくり考えることができた。

今年は、なんだかジタバタしてた。

何か行動を起こしたくて、そこから何か広げたくて、ジタバタ。

だけど、その何かが定まってなかった。

動けばその何かがわかる気がして、とりあえず動いてみてた。

で、この30日に出た結論。

今周りにいる人、モノを大切にする。

ていねいにじっくりつき合っていく。

これからの自分はそうでありたい時期にきた。


この一年、自分のキーワードにもなったなと思う言葉が

価値観

これってすごく重要で

これが合う人やモノは長く続いていくんだと思う。

違うからって受け入れないわけじゃなく

そういう考え方もあるんだと受け入れるけど

この一年はそれについてすごく考えさせられた。


ほんと笑ったこの年の瀬。

今の仕事がほんと楽しくて

今の仕事先の仲間が大好きなんだなと改めて感じた。

そんなところにいられることをほんと幸せだと思う。

来年ももっとスキルアップしたい。

自分の生まれ育った場所から生み出されるステーショナリーたちをたくさんの人に

手にとって

大切にしてもらいたい。

作り手の思いを伝えたい。

もっと知識やセンス、モノ作りを身につけたい。

自分も成長しながら、お店にも反映していきたい。

すごくやりたいことが明確になってきた。

それはきっと今年ジタバタしたからわかったことかも。

周りにいる友だちも遠くにいる友だちも

ほんとにステキな人たちばかりで

もっともっと幸せも悩みもわけあっていきたいと思っています。

そしてそろそろ恋愛も…


突然ですが、私今年のお正月は巫女さんしてます。

大晦日と11日は西宮恵比寿の南宮

2日は廣田神社

にいますので良かったら来てください。

こんな感じですが、みなさま来年もどうぞよろしくお願い致します。

ではでは、良いお年を~。









私はバリの警察に助けられた。


最近のバリでの事件のニュースを見てふと、でも結構詳しく思い出した。

ボランティアで、バリに行ったのをきっかけにバリ好きの仲間ができ、会いたい子たちができ、バリでの家族ができた。

4年前くらいの2回目のバリ。

ボランティアで一緒だったさやちゃんとバリの家族のもとに泊めてもらいながら、毎日会いたい子どもたちのところへ通っていた。

観光地がたっくさんあるにもかかわらず、そんなものには目もくれず。

現地の人さながら強い光の中毎日毎日歩いてた。

いや、現地の人は暑い時間帯は出歩かないのだけど、私たちは歩いてた。

とにかく子どもたちと時間を過ごしたくて。

ある日、子どもたちがバリの中では芸術で有名な町ウブドのホテルでバリダンスを踊るというから、

観に行くことになった。

ウブドは私たちが泊まっていたところからは結構な距離。

行きもいろいろバスやら車やら乗り継いでやっとのことでたどり着いた。

女の子達は化粧をし、華やかな衣装をまとっていた…

それは彼女たちにとっては仕事で、生きていくためにやらなきゃいけないこと

ほんとは家族と一緒に過ごしたいけど、そうできない様々な理由を抱えていた

だから、その時の私には子どもたちを働かせてるようで

それを見に来ている観光客の人たちに対していい気はしなかった。

この人たちはこの子たちがどんな思いで踊っているのか

どんな状況にいるのか

知らず、楽しんでいるんだよな…

なんて思っていた。

でも、今はそれも私の中のひとつの意見

いろんな見方があるから、何がどうというのは正直わからなくなってる。


で…

その日の帰り道。

子どもたちの踊りを観たり、話したりして過ごした後、

あまり遅くなると暗くなってしまうからと夕方には出発。

私たちはいつもそうしていたのだけど

少しでもタクシー代を減らすために歩けるだけ歩いて

疲れたらタクシーを探す。

その時もその方法をとっていて、

何台か私たちを追いこして通りすぎていった。

まだまだいけると何時間か歩いていると

だんだんあたりは暗くなってくるし

タクシーもなかなか通らなくなって

人の気配でさえなくなってきた。

観光地で安全とは言われてても

さすがに20才そこらの女の子が2人

真っ暗な中

さすがにちょっと恐くなるし

次タクシーがきたら乗ろうと決めた。

けど、どんだけ経っても

タクシーはこないし

おまけに雨まで降ってきた。

雨に濡れながらひたすら歩く。

雨宿りや休憩できそうな場所もなく

ただ歩くしかなかった。







すると目の前に小さな交番。

私たちはそこも通り過ぎようとしたのだけど、

警察の人に話かけられた。

こんなとこに女の子2人なんて危ない

もうタクシーはここは通らない時間だ

と言って、私たちをバイクの後ろに乗せてくれることになった。

私たちは半信半疑。

着いたところは、警察の人の家。

中に入るとたくさんの家族と子犬。

大柄な女の人がびしょ濡れになった私たちを迎え入れてくれた。

飲み物をくれたり、話しかけてくれたり

あたたかく迎え入れてくれていて

雨がひどいし、一泊して明日帰ったらどうだと言ってくれた。

しかし私たちは心細いのと、バリの家族が恋しいので

どうすれば帰れるか必死で考えていた。

外は土砂降り。

これ以上はバイクではいけない。

でもその家には車はない。

もうタクシーも走っていない。

そんな状況の中、家族の人たちも一緒にいろいろ方法を考えて

いろなところに連絡してくれて、車を借りてきてくれた。

土砂降りで真っ暗。

車でも結構危ないのに、車をだしてくれた。

車を運転してくれたのは、大柄な女の人で

車内でも終始、へこんでいる私たちに明るく話しかけてくれていた。

バリの家族に会えた時は安心して泣きそうだった。

私たちを送った警察の家族の人はまた暗い道を帰っていった。


あの時の出来事は、今でもすごく強く印象に残っている。

あの日の夜、安心してベットで寝られたのは

あの人たちのお陰。

バリでの事件がどうこうじゃないけどさ

あの時のことを思い出して

書いておきたくなった。

その時一緒だったさやちゃんは青年海外協力隊でアフリカの空の下。

あいかわらず、こどもたちと元気いっぱい走り回ってるんだろーな。

来年には、あとボランティア仲間3人が青年海外協力隊でいろんな国の空の下。

みんなが安全で健康で過ごせますように。






















それは今日が7月30日だから。


せみの鳴き声が心地よくて、わくわくするのは24年前の今日生まれたからだと思った。

春が終わって夏がきた。

ぱーっとした太陽の光

モコモコの入道雲

人間の手では創りだせない真っ青な空

ぐんと伸びたひまわり

真っ暗な夜空の花火

虫の音が聞こえる夕暮れ

この季節が一番好き

今日の天気予報は雨やら曇りやらだったのに、見事に私の大好きな夏を提供してくれました。

とは言っても半日過ごしたのは仕事先。

今日自分が誕生日だということは感じながらいたけど

仕事が終わった頃にはすっかり忘れていて

みさちゃんに呼ばれてカフェに降りると

仕事先のみんなの笑顔とろうそくの灯ったケーキ

タイミングよくお客さんはいなくて

バースデーソング歌ってくれました。

ほんとに温かいみんなにお祝いしてもらえて嬉しかった。

メールやお手紙くれたみんなもありがとう。

こうして誕生日を覚えていてくれて、

お祝いしてくれるみんながいることは

あたりまえじゃなくて

すごいこと。

ほんとにほんとにありがたい。

そのぶんね、私もみんなの力になれる人でありたいと想います。

仕事が終わってからはせっかく誕生日の日だからどこかに行こうかとも思ったけど、

私を24年前一生懸命産んでくれたお母さんと

ゆっくり話をして過ごした。

いつものことだけど。

でも何だか特別な感じ。














あいのわ

 
ハナレグミが好きです。

うん。

いいね。

そういえば、前の日記の続きですが

お母さんがギブスでチャリンコに乗れるようになりましたー。

パチパチパチ。

やってみたいなと思って。

やろうと決めて。

とりあえずやってみる。

それが大切だなって思う。

できようが

できなかろうが

できないなら

できるに近づけるように

頑張ればいい。


最近、東の方にちょこっと行ってきました。

岐阜

横浜

東京

と。

みんな離れてて、なかなか会えないんだけど

でもそれぞれが

それぞれの道で

悩みながらも精一杯前を向いて頑張ってる。

みんなの話を聞くのがほんとに楽しくて

自分の話を聞いてもらえるのがほんとに嬉しくて

あっと言う間だった。

私にとって大切な人たちばかりで

これからも大切な人。

ハナレグミのニューアルバム

あいのわ

って今ラジオで言ってたな。

買いに行こっと。







ね。

「自分のストーリーは自分でつくる」

そんな誰かの本にでも書いてありそうなことを想った。

iPodでフィリピン語の単語を繰り返し聞きながら

わざと太陽の下を歩きながら

大阪の長堀あたりをブラブラ歩いてる時に。


いつの頃からか

もし自分が死んだら
その後どうなるかなんて
わからないんだから

その時点で自分のストーリーは終わる。

だから世界は結局自分のためにまわってる。

そう思う時がある。

それをお母さんに話したら

いい性格してるね~。
そりゃ、たえこに悩みが少ないはずだわ。

と言われた。

自分でも悩みは少ない方だと思うけど

悩んだ時こそそう思うようにしてる。

この悩みも自分のストーリーの中の1つで

この先の何かのために悩んでるんだと。


でね、この年になると自分のストーリーを創りだすのも自分。

フィリピンでのワークではよくコンクリート作りをする機会が多かった。

だから、コンクリートと砂と水の割合やスコップを使ってでの混ぜ方がわかってる。

そんな23歳の女の子なんてなかなかいないよな

と工事現場をがん見しながらそう思い

そんなストーリーを創りだせたことが、ちょっと嬉しくなる。


これからのストーリーだって自分の動き方や考え方がすごく左右してくる。

そりゃ、いいことばっかじゃないし

でも、よくないことがあるから倍うれしいし

どんなことにも意味があるとおもう

どうせなら、ハッピーな時間が長い方がうれしいよね。


お母さんは最近

骨折してギブスを片足にはめてる

のに

乗れると思って

チャリンコに乗ってみた

けど、無理だったわーっ

って笑ってました。

だめなら笑えばいい。

ね。





だるま


ブログに戻ってみました。

やっぱり何だかブログの方が想いを書きやすいです。

そしてかなり久々に文章を書きたくなりました。


きっと、ちょっと自分がつまずいているから。


うまくいかないことってほんとに重なるもの。

頑張ってるつもりなんだけど、そうでもないみたいで

いろんなことが空回りしちゃって

自分の詰めの甘さや多くの課題にぶちあたってる。

仕事先でも最近の自分はほんと情けなくて、毎日あやまってる。

失敗ばかり。

でも、それを失敗として終わらせるんじゃなくて

その失敗があったからこそ、自分が成長できたと思えるようにこれから巻き返したい。

とプラス思考な考えを巡らせてみる。


今日ふとお財布に入っていた、だるまのチャームと説明の紙を見たくなった。

今年大好きな仲間たちと行った長野の神社で買ったおみくじのお守り。

なんて書いてあるかなんてすっかり忘れてた。

そこにはね、

だるま

忍耐、人望、福徳をさずける福神

七転び八起(何度失敗しても屈しないで奮い立つの意味)

人に忍と福と寿命の三徳を与える福神

って書いてあった。

なんかね、だるまさんに元気をもらいました。


失敗したって

悩んだって

すべて経験だって思って吸収すれば

いいんだよね。

よしっ!




日々想う



楽しみを見つけることが楽しみ。


フィリピンから帰って

もう二月も後半に入ってますが、明けましておめでとうございます。
年末年始はフィリピンでしたが、今年はほぼ日本にいるつもりなのでみなさん遊んでやってください。
今年もよろしくお願い致します。

フィリピンでのクリスマスは、ジャイラの子どもたちとクリスマスパーチーをして星空の下で子どもたちとねっころがりながらたくさん笑った。
フィリピンでの年越しは、カウントダウン直前まで子どもたちに爆竹を投げつけられつつも、年越しの瞬間はとっても奇麗な花火を見ながら過ごせた。

もう6回目にもなると、フィリピンでの感覚も日本での感覚に近づく。
初めの頃は、フィリピン=子どもたちと遊ぶのみ。
いや~今回は違った過ごし方をたくさんできたな。
子どもたちと遊ぶのはもちろんのことなんだけど、あまりにも長い間いつもいるもんだから子どもたちが相手してくれなくなるんだよね。笑

今回は、現地に一緒に遊んでくれる日本人のお友達もたくさんいたから良かった。
マニラでカラオケ行ったり、韓国料理食べたり
フィリピンに住んでる夫妻の家に行って、DVD見たり
オロンガポのバーに行って何時間もお喋りしたり
誕生日パーティに呼んでもらったり
ホテルの社長さんにお呼ばれして、優雅にホテルのビーチで朝食したり
大きなショッピングモールに連れて行ってもらったり

ジャイラやオロンガポ付近なら1人で出歩けるようにもなった。
しかも、1人でウロウロ歩き回ってるといろんなとこから「taeko-!!」って聞こえてきて知り合いに会うから嬉しい。
フィリピン語もすこーしだけど分かってきて、二年前には話が全くできなかったホームステイ先の子どもたちとも会話が成立したもんだから、子どもたちもテンション上がる上がる。
すっかり現地の生活に馴染んでた。

でも、日本の生活が恋しくなってたのも確か。
バイト先の忘年会どうだったんだろうなーとか神社にお参りに行きたいなーとか。
今までフィリピンにいる時にはそんなことは一度もなかった。
そんだけ、日本での生活が充実してる証拠なんだろうな。

フィリピンでティシャツ短パンで真っ黒に日焼けしてた私も今や、ボードにハマり吹雪の中爆走。
いやー何で今まであんな楽しいものやってなかったんだろうとまで思う。
夏はボディーボードにチャレンジすることをここで宣言しておきます。
今年はね、身近なものに興味をもつ。
目の前にいる人と笑顔を共有する。
そんなことをして生きたい。
そして、リアルにお母さんに借金を返して自分の生活の土台を作ります。




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